写真の町東川賞—2018年飛彈野数右衛門賞

飛彈野数右衛門賞

第34回写真の町東川賞 飛彈野数右衛門賞

富岡畦草 TOMIOKA Keiso

神奈川県在住

受賞理由:写真集『変貌する都市の記録』(白揚社、2017年)ほか、東京を定点観観測で撮影し続けてきた活動に対して

1926年三重県生まれ。特攻隊志願兵として終戦を迎える。運輸省東海海運局、日刊スポーツ新聞社を経て、1951年より人事院広報課に勤務。
 焼け野原になった日本のこれからを記録に残さねばという気持ちを原点に、仕事のかたわら、記録写真をはじめる。「同じ町や物を、同じ所から、同じカメラを使って撮り続けた写真を、あとで並べて見れば、きっといろいろなことがわかるだろう」ということから、「定点観測式撮影法」を発案。首都圏の主要な駅前、交差点、広場、車道などで定点観測記録写真を続け、高度成長期の東京の変貌をとらえている。
 都市の記録とともに、家族の成長記録も残し、1958年、「母と子の1000日」で第1回日本写真協会新人賞受賞。現在も継続中の銀座四丁目交差点での家族定点撮影は、家族の記録であるとともに、街の風景、道行く人の変化の様子も同時にとらえられている。
 主な写真集に『車が輝いていた時代―富岡畦草記録写真集』(日本カメラ社、2003年)、『富岡畦草記録の目シリーズ 変貌する都市の記録』(白揚社、2017年)など。現在でも、雑誌『日本カメラ』にて「富岡畦草の記録する日々 我が写真回想記」の連載を続けている。娘の富岡三智子、孫の鵜澤碧美が、それぞれ二代目、三代目富岡畦草を引き継ぎ、定点撮影を継続して行うほか、40万枚にも達する膨大な写真を保存管理している。

作家の言葉

第二次世界大戦敗戦から十日後、やっとの思いで東京駅に辿り着き、空襲により廃墟となった東京の街並みを目にした時、日本滅亡の危機を痛烈に感じました。それからGHQの支配下で日本は復興の道を歩み始め、衣食住にも不自由する環境の中であっても人は皆、一致団結し、日本復活のために懸命に努力していました。
 戦後間もなく、初めは新聞報道カメラマンになり、次いで人事院広報専任カメラマンとしてシャッターを切りながら、戦後日本の歴史を写真資料によって後世に残そうと決意したことから私の定点記録写真の活動は始まりました。
 写真の強みは明白な事実を鬼気迫る雰囲気とともに記録できることにあります。私は個人で東京を中心とした都市の変貌を記録して参りましたが、この写真資料が日本の発展に少しでも繋がれば幸いです。私の仕事を引き継いでくれている娘や孫とともに日本社会の行く末をできるだけ長くカメラに収めたいと思っています。
                                               富岡畦草

    〈数寄屋橋交差点 定点撮影〉 


  • 数寄屋橋交差点の日劇 

    1959年 


  • 日劇と電気会館が写る数寄屋橋交差点 

    1979年


  • 高層化の進む数寄屋橋交差点 

    2017年 


  • 〈日比谷交差点 定点撮影〉 


  • 地下鉄工事中の日比谷交差点 

    1964年


  • 道路の整備された日比谷交差点 

    1974年


  • ビルの高層化が進む日比谷交差点

    2016年


  • 〈銀座四丁目 家族定点撮影〉 


  • 銀座四丁目中央通りを走る都電と柳を背に歩く妻と子どもたち  

    1961年


  • 円筒形ガラス張りの三愛ビルを背景に華やかになった銀座中央通り

    1975年


  • 銀座四丁目を背に歩く娘夫婦と孫

    1993年

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