AWARDS東川賞

特別作家賞

奥山淳志
OKUYAMA Atsushi
岩手県在住

受賞理由

受賞理由:写真集『弁造』(私家版、2018 年)及び写真展「庭とエスキース」(銀座、大阪ニコンサロン、2018 年)に対して

1972年大阪府生まれ。京都外国語大学卒業。東京で出版社に勤務するなか、1998年に雑誌の取材撮影を通じて、北海道新十津川町で開拓民の最後の世代として自給自足の生活を営む井上弁造さん(大正9年生まれ)に出会う。同年に岩手県の雫石町に移住し、写真家として活動を開始。東北の風土や文化をテーマとした作品を雑誌等で発表。

1999年より四季の移り変わりにあわせるようにして訪問を重ね、エスキースを描きつづける弁造さんのなかに、「生きること」を探るようにして撮影を続ける。2006年「フォトドキュメンタリーNIPPON」(ガーディアン・ガーデン)選出。弁造さんの10年を追った「明日を作る人」(新宿ニコンサ口ン、2008年)、岩手の茅葺民家で自給自足を送る人物をとらえた「彼の生 活 Country Songsより」(銀座、大阪ニコンサロン、2012年) 、東北の祭礼行事の今をとらえた「あたらしい糸に」(銀座ニコンサロン、2015年、第40回伊奈信男賞受賞)などの展覧会を開催。

2012年4月に弁造さんが逝去(享年92歳)した後も、弁造さんが慈しみ育てた庭と遺品のエスキースの撮影を続ける。2018年、これまでに撮りためた写真を編んだ私家版写真集『弁造 Benzo』、展覧会「庭とエスキース」(銀座、大阪ニコンサロン)で日本写真協会賞新人賞受賞。2019年4月、写文集『庭とエスキース』(みすず書房)出版。

作家の言葉

このたびは、名誉ある賞をいただくことになり、大変光栄に思っています。

もう20年も前のこと、「写真を通じて他者に近づきたい」と考えていた25歳の僕の前に胸を張って立ってくれたのが北海道の新十津川で暮らす井上弁造さんでした。

当時、弁造さんは自分の手で建てた小さな丸太小屋に暮らし、畑と森からなる庭を育てながら自給自足の暮らしを営んでいました。僕はそんな弁造さんの暮らしと知恵とユーモアに溢れた精神に魅かれ、岩手から通い詰めるようになりました。

弁造さんは2012年に逝ってしまいましたが、生前、そして死後と20年間以上に渡って撮ってきた弁造さんとの時間が今回の受賞を通じて、北海道の地で多くの方々にご覧いただけることに深い感慨を覚えます。

弁造さんは恥ずかしがりつつも「わしゃあ、やっぱり北海道が落ち着くな」と笑いながら、どこかで展示を見てくれているようにも感じます。

僕の日々を作ってくれている方々、そして弁造さんに深く感謝いたします。

エスキースを描く
2010

弁造さんが暮らす丸太小屋にはひとつだけ窓があった。ビニールが貼られたその小さな窓からの光に弁造さんはいつも照らしだされていた。絵を描くとき、窓からの光は弁造さんのセーターの上で静かに呼吸していた。
秋の庭、メープルともに
2001

自給自足を目指す庭で弁造さんが一番大切にしていたのがカナダ原産のメープルだった。「いつか樹液を煮詰めてシロップを作るんじゃ」と笑っていたが、結局、木がかわいそうになってと一度も幹にシロップを採集するための穴を開けることができなかった。
自給自足の庭にマーガレットが咲く
2007

草花が生い茂る夏の庭はユートピアを思わせた。弁造さんの美しい庭を思い起こすたび、「自給自足は苦しいものであってはいかん。楽しくて美しいものにしなくちゃいかん」という弁造さんの言葉が蘇る。
ようやく完成した母と娘の肖像
2009

弁造さんは繰り返しエスキースを描き続け、亡くなる2年前についに一枚の絵を完成させた。なぜ、弁造さんが「母と娘」にこだわり、この絵を最晩年に描いたのか僕はとうとう知ることができなかった。
薪を運ぶ11月の朝
2011

柔らかな斜光によって彩られる11月の北海道で弁造さんの薪割りを手伝った。「これで薪の暮らしが続けられるなあ」と弁造さんは笑ったが、結局、薪を使い果たすことなく弁造さんは逝ってしまった。残された薪がどうなったのかと、今になってときどき考える。
最後のポートレート
2012

最期のポートレート。ヨレヨレの黄色いセーターに、いつか洗ったかわからないという顔。何度、この弁造さんに向けてシャッターを切っただろう。繰り返しシャッターを押すことの意味を教えてくれたのは弁造さんだった。